新派を代表する俳優として長年活躍した二代目・水谷八重子さんが、87歳で亡くなりました。
松竹によると、2026年8月28日、肺炎のため東京都内で死去しました。
水谷さんといえば新派の名女優という印象が強い一方、若い頃はジャズ歌手としても人気を集めた人物です。
さらに、父は十四代目守田勘弥、母は初代・水谷八重子という芸能一家に生まれています。
昭和から令和まで舞台、映画、テレビ、歌謡界で活躍した、その波瀾に富んだ人生を振り返ります。
水谷八重子(二代目)は87歳で死去
水谷八重子さんは1939年4月16日、東京都に生まれました。
本名は松野好重(まつの・よしえ)さんです。
父は歌舞伎俳優の十四代目守田勘弥、母は新派を代表する名女優、初代・水谷八重子でした。
まさに歌舞伎と新派という二つの芸能の世界を身近にして育ったことになります。
1955年、16歳のときに「水谷良重」の名で歌舞伎座の新派公演に出演し、初舞台を踏みました。
そして驚くことに、同じ年にジャズ歌手としてもデビューしています。
その後は新派の舞台を中心に活動し、1995年には母の名跡を継いで二代目・水谷八重子を襲名しました。
母から娘へ受け継がれた「水谷八重子」の名は、ここで二代にわたる大きな芸の系譜となりました。
水谷八重子(二代目)は実はジャズ歌手だった!
水谷さんを語るうえで忘れてはいけないのが、「水谷良重」の名前で活動したジャズ歌手としての顔です。
16歳で新派の初舞台を踏んだ1955年、ビクターレコードからジャズ歌手としてデビュー。
ハスキーで洗練された歌声で人気を集め、初期のNHK紅白歌合戦(1958~1961年)にも4回出場しました。
女優として新派の舞台に立つ一方、歌手としても活動するという幅広い才能を発揮したのです。
さらにテレビの創成期には「あなたとよしえ」や「若い季節」などにも出演し、舞台だけでなくテレビでも親しまれる存在となりました。
映画にも活躍の場を広げ、1957年の「青い山脈」をはじめ、「座頭市物語」「悪名」シリーズなどに出演。
「花の吉原百人斬り」ではNHK最優秀助演女優賞を受賞するなど、女優としても確かな実績を残しました。
水谷八重子(二代目)が母から受け継いだ新派の名跡
1979年に母・初代水谷八重子が亡くなった後、水谷さんは新派の舞台を支える中心的な存在となりました。
そして1995年、ついに母が長年守ってきた「水谷八重子」の名を二代目として襲名します。
新派の伝統を受け継ぎ、「滝の白糸」「日本橋」「佃の渡し」など数々の舞台で活躍しました。
その功績は高く評価され、2001年に紫綬褒章、2009年には旭日小綬章を受章しました。
2023年には東京都港区名誉区民にも選ばれています。
最後の舞台は2025年2月の南座「二月新派喜劇公演『三婆』」でした。
その後も日本俳優連合の理事長を務め、俳優界の発展にも力を注いでいました。
水谷さんの葬儀は近親者のみで行われ、後日、お別れの会が開かれる予定です。
まとめ
- 水谷八重子(二代目)さんは2026年8月28日、肺炎のため87歳で亡くなりました。
- 1955年、16歳で「水谷良重」として新派の初舞台を踏み、同時にジャズ歌手としてもデビューしました。
- ジャズ歌手としてNHK紅白歌合戦にも出場し、女優だけではない幅広い才能を発揮しました。
- 1995年には母・初代水谷八重子の名を継ぎ、二代目水谷八重子を襲名して新派を代表する女優となりました。
- 母・初代八重子もまた、昭和初期の映画に出演した名女優でした。初代八重子が出演した1929年の映画「大尉の娘」とは、どのような作品だったのでしょうか。
▼初代水谷八重子が出演した映画『大尉の娘』については以下の記事↓をご覧ください。

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